
異色の経歴をもつ陶芸家が始めた新たな暮らし
海の見える工房で、うつわづくり
陶芸家として活躍されている、和田山真央(わだやま まさひろ)さん。大阪のご出身で、2019年12月に和歌山県和歌山市へと移住されました。現在は、加太湾を臨む場所で作陶を続けられています。
和田山さんの工房がある加太は、和歌山市の郊外にある街。美しい海岸線が広がり、海水浴や釣り、磯遊びが楽しめる観光地としても人気です。


加太では鯛の一本釣りも有名とのことで、南海加太線の電車には鯛をモチーフにしたかわいらしいラッピングが施されていました。
穏やかに作品づくりができる土地を求めて
和田山さんが大阪を出ることを決めたのは、2016年。
「大阪の街も好きでしたが、毎日目に入る景色や環境を変えて、心も身体も穏やかに過ごせる場所で作品づくりをしてみたいと思うようになったんです」(和田山さん)

和田山さんは、移住先を決めるうえで「LCCの発着がある空港の近く」「観光地」「海の近く」という、3つの条件を明確に持っていたそう。
ほかの候補も検討したうえで最終的に「ここに住みたい」という思いが強まり、加太に決めたそうです。陶芸を始めてから12年、大学を卒業してから10年経ったタイミングでの移住でした。

加太の人々からも歓迎され、「びっくりするほどウェルカムな雰囲気でほっとした」といいます。
「街の外から来た人に、みなさんとてもフレンドリーに接してくれて。もともと観光地だからというのもあるかもしれませんね。スーパーへ買い物に行っても、ぜんぜん知らない人が話しかけてくれることも多いんです(笑)」(和田山さん)
移住されてから、まだ数ヶ月。和田山さんに「作品づくりに何か変化はありましたか?」と質問してみたところ、「景色がきれいだし、釣りは楽しいし……仕事になりません(笑)」と、冗談めかしておっしゃっていました。

アメリカで決意した、陶芸家としての道
和田山さんが陶芸を始められたのは、21歳のころ。
もともと英語の先生を目指していたそうで、アメリカの大学へ留学していたときでした。
日本から出たことで、日本の芸術の素敵な部分へと目が行くようになったとともに、進路を改めて考えるなかで「ものづくりが好きだし、手に職をつけた働き方が自分には向いているはず」と思ったのだとか。
そこで一念発起、陶芸家になることを決意し、大学の陶芸コースに編入してから陶芸について学ばれたそうです。

大学卒業後は地元の大阪に戻り、もともとご家族とのつながりがあった陶芸家さんのもとでお手伝いをしながら、少しずつグループ展に出品されるようになっていきました。
陶芸家としては、ある意味異色の経歴の持ち主ともいえる和田山さん。
美術大学出身の同年代の作家さんたちが続々と個展を開く姿を見るうちに、「まずは作家として信用を得て、人とのつながりを広げる必要がある」と考えたそう。それからは公募展に作品を出すようになり、受賞されていくうちに、活動の場も広がっていったそうです。
今では、年に6回ほど開かれる個展や常設ギャラリーにて、国内外問わずファンを集め、若手陶芸家として注目されています。

多種多様な釉薬を使い、なんとも味わい深い色味や、独特の質感や模様を表現されている和田山さん。
その作品たちに、これから加太での暮らしがどんなふうに反映されていくのか、楽しみです。
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