
繊細さと、力強さの融合
伝統の薩摩焼から、土らしさを引き出し生まれる器たち│つきの虫
鹿児島にて、薩摩を感じる器を作り続ける『つきの虫』さん。ソラミドでは、薩摩焼の伝統に新しい技法を融合させて生まれた『泥貫-DOROKAN-』シリーズの器をお取り扱いしています。ざらりとした独特のテクスチャが特徴で、土の力強さを存分に感じられる器たち。この魅力的な作風は、どのように生まれたのでしょうか。今回は、つきの虫の作家・新納虫太郎(にいろ むしたろう)さんにお話をうかがい、陶芸を始めるまでの経緯や、今の作風に至るまでの道のりを聞きました。
自然の近くで生きるために
──虫太郎さんが陶芸を始めるまでの道のりを教えてください。
もともとはサラリーマンだったんです。エンジニアとして、オートバイの開発に携わっていました。遊びが好きな人たちがいっぱい集まっている会社で、オートバイが心から好きとか、アウトドアが好きとか……面白い仲間たちに囲まれて。僕も仲間とキャンプをしたり、遊びを楽しんでいたんです。20代のときだから、もう40年も前かぁ。
自然の中でいろいろと遊ぶうちに、もっと自然の近くで生きられたら面白そうだなぁと考えるようになりました。漠然とですけどね。森林組合とか、漁師とか、仕事でも自然に関わることができたらいいな、なんて考えたりもして。それで何か新しい道を探せたらと思い立ち、会社を辞めました。

──思い切った決断をされたのですね。
ちょうど、働く環境を変えたいなと感じていたタイミングだったのもありますね。そのときは、陶芸なんて考えてもみなかったんですよ。ただ、パワーがありましたね。ちょうど、バブルが弾けるちょっと前。何でもできる時代だったから、どうやっても生きていけるよ、と。家内もついてきてくれましたが、当時はどう思っていたんでしょう(笑)。
それでひとまず実家のある鹿児島へ帰って、いろいろと職を探してみたんです。職安の隅っこに貼ってあったパート募集を見てピンときたのが『沈壽官窯(ちんじゅかんがま:400年以上もの歴史をもつ、鹿児島を代表する薩摩焼の窯元)』。なんとなくその名前に惹かれて、見に行ってみました。
そこが、薩摩焼のものすごい大家であるということは、あとから知ったわけです。だから面接ではかなり生意気な口も聞いてしまったんですが……(笑)、働かせてもらえることになりました。
──その後、独立されるまでの経緯はどんなものだったのでしょうか?
もともと僕は、沈壽官窯さんに入るとき、将来は独立したいとお話させてもらっていたんです。大きな窯元さんだと分業制で器を作ることが多いのですが、僕の場合は自分ですべての工程に関わるものづくりがしたくて。
沈壽官窯さんでは、最初は鋳込みっていう仕事を割り当てられて。石膏型に泥漿を流し込んで、型で作る製作工程ですね。それを一年。
それから、窯場のところを一年。その後も窯場や、釉薬をかける仕事、鋳込みをいったりきたりしました。その間も独立したいという気持ちがあったので、夜な夜なろくろの練習をしたりして。練習の成果をみてもらって、最後の2年ほどはろくろの仕事を任せてもらえるようにもなりました。

休みの日には、沈壽官窯の登り窯を真似て、親父の土地にコツコツと窯を自作したりもして……(笑)。窯の作り方なんて何も知らなかったので、いろいろな本を読み漁りながらつくりました。
自作の窯が形になってくると、今度はその窯を焚いてみたくてしょうがない。でも、窯をいっぱいにするためには、たくさんの茶碗を自分で作らないといけない。修行を続けながらでは、できないなと思いました。
それで、沈壽官窯さんで働いて5年経ち、僕が37歳になる年に、飛び出すように独立しました。
──当初は「自然のそばで仕事がしたい」という思いで鹿児島に戻られたとのことでしたが、陶芸の道でやっていこうと思えた理由はなんだったのでしょうか?
やっぱり、ものづくりだったからなのかなって、今では思います。
オートバイの開発設計をしていたのもそうですし、やっぱりものづくりが好きだった。それに、陶芸は土に触れられるから、自然のそばにもいられる。以前は機械に携わっていたからこそ、何の道具も介さずに手で形が作れてしまう陶芸の世界も、なんだか楽しく感じて。
これでご飯が食べられるようになったら、今までと違う生き方ができるんじゃないかと考えたんですよね。

繊細さと力強さの融合
──現在の『つきの虫』さんの作風は、どのように作られていったのでしょうか?
薩摩焼って、絵付けや細工、透かし彫りだったり、ものすごく繊細な焼き物です。でも、僕はもっと大胆で、力強い器を作ってみたいと思っていました。
当初は、「ろくろは勢いだ、スピード感だ!」なんて思いながら、ぐわーっとした作品ばかり作っていたんですが、もう売れない売れない(笑)。
独立したてのころは、「登り窯で変な陶芸家が何かやりだしたぞ」って話題になって、地元のテレビ局が取材に来てくれたりもしたんですよ。でも、話題が去るとガクッと売れなくなって。器が売れないから、家内にはずっと掛け持ちで働いてもらって、苦労もかけました。その期間が、12、3年は続きましたね。何を作ったらいいんだろうと、ものすごく悩み続けて。

──その期間を脱却できたのは、何かきっかけがあったんですか?
大島紬の職人さんが訪ねてきてくれたのが、大きなきっかけになったと思っています。
その方は、薩摩焼と大島紬を組み合わせて、何か新しい表現ができないかと相談に来てくださったんです。それから、大島紬が似合う器ってなんやろう、と少しずつ違った視点を持つようになったり、『鹿児島の工芸』として、地域性を意識するようになったり。いろいろと変わっていくきっかけになりました。
それからは、窯も土も、すべて見直しましたね。ぐわっとしたものから、シュッとしたものに変わっていったというか(笑)。

──ソラミドでお取り扱いさせていただいている『泥貫(どろかん)』シリーズには、虫太郎さんが大切にされてきた『力強さ』の名残を感じられるような気がします。
そうですね。
そこに至るまでには、大島紬の文様をプリントした薩摩焼をつくったり、『染貫(そめかん)』といって、白い陶土を使った白薩摩の貫入を天然顔料で染めたシリーズも生まれたりしました。
伝統の白薩摩は上絵付けがされて、殿様に献上されてきたような上品な器ですが、その生地には微細な貫入が隠れているんです。それをもっと見てほしいなと思って、貫入を染めるという手法が生まれました。
この手法でいろいろな表現を模索するうちに生まれたのが、『泥貫(どろかん)』です。


泥貫は、化粧土のヒビの間に、黒薩摩の釉薬を塗り込んでいます。ヒビが模様のように美しく出るし、汚れ止めにもなります。
手触りもザラザラで、もともと僕自身がもっと土らしい、ぐわっとした力を持つ器を作りたいと思っていたところに近づきましたね。薩摩焼の繊細な部分と、土を感じられる力強さが合わさったようなものじゃないかと感じながら作っています。
──ものづくりをしていて楽しいと感じるのは、どんなときですか?
ろくろをまわしていると、すごく集中する時間が訪れますよね。もちろん一日まわしているので、ずっとやっていると嫌になる時間もあるんですけど(笑)。
一日何時間もまわしていると、そのうちのほんの15分くらいかな。すごく、集中する時間が訪れるときがある。うまくシューッと作れる、そういう一瞬があるんです。楽しい部分はそこにあると思います。
あとは、新しいことに取り組んだ結果が、窯出しのときに出てくるっていうのは本当に醍醐味ですよね。

──これからの目標をお聞かせください。
鹿児島らしいものを作って、発信して、お客さまに買っていただく。それで喜んで使っていただいて。「つきの虫の器を買うと、なんか幸せになっちゃった」みたいになればいいなって思います。
陶芸に対する目標っていうは、一応、「つきの虫 7SPIRIT」といって、僕らなりにビジョンみたいなものがあるんです。
1. 産地鹿児島で薩摩を感じるうつわを作り続けます。 2. 薩摩焼CRAFTSMAN(職人)としてひとつひとつ丁寧に手作りする日用工芸品(crafts)を作り続けます。 3. 多くの人と意見を交わし一緒に学びデザインし喜び変化し成長しながら作り続けます。 4. かっこいい・かわいい・綺麗・繊細・美…それらを超えたその先にあるモノを追求し続けます。 5. 生み出した作品を大切に作り続け、ユーザーへしっかり届けます。 6. 時間や年を重ねる中で得る大切な気づきを伝えていく事を怠らないようにします。 7. 伝統薩摩焼へのリスペクトを忘れず、産地を大切に、産地で作り続ける意味を問い続けます。 |
そのうえで、お客さんに喜んでもらうためにいちばん大事なのは、僕らが楽しく仕事していくことなのかなという気もするので。陽気にのんきに元気に、明るく楽しく健康に! ものづくりをしていきたいと思います。
あとは、これは『つきの虫』という屋号の由来にもつながることなのですが、直感を大切にしていきたい。
僕は「虫の知らせ」とか、第六感的な“虫”っていうのを、自分のなかですごく大切にしたいなと思ってまして。いろいろなことを考えて迷っても、最後に決めるのはもう、直感じゃないですか。
ろくろもそうですし、窯の温度を決めるときも、火を止めるときも、もうちょっと炊いたほうがいいかもと判断するときも。いざというときこそ直感を大切にしながら、これからも器を作り続けます。
